北野的読書日記

岩波文庫を中心に、読んだ本の感想を書いていきます。よろしくお願いします。

北野的読書生活

1日30分、毎日岩波文庫を読むと決めて、もうすぐ3ヶ月が過ぎます。マラソンが趣味なので、マラソンに例えると10キロ過ぎくらいでしょうか。

毎日30分、必ず読むというのはなかなか苦痛でした。

飲み会のあとも鼻ちょうちんを出しながら読んだり、外泊先で、灯りがないためにスマホの明かりで読んだり、いろいろありました。
でもなんとか続いています(ちなみに累計読書時間は55時間4分57秒)。

かし、習慣化されてくるに従って、それほど苦痛ではなくなってきました。飲み会のある日は昼休みに15分間読んでおけば、寝る前に15分読むだけでクリアです。そういう工夫もするようになりました。

肝心の、読書体験が身に付いているかということですが…これはなんとも言えません。

ただ、岩波文庫はやはり長く残っているものだけあって、軽い内容のものは今までのところひとつもありません。どれも、何かしら心に残ったり、ひっかかったり、わかんなかったり、一筋縄ではいかないのです。

あと、ブログに読書の感想を書くこと、これはとても効果的だと思います。
もう一度。
ブログに読書の感想を書くこと、これはとても効果的だと思います。
何でもそうだと思いますが、アウトプットを前提としたインプットはやはりよく頭と心に入ってきます。

ただ、悩ましいことがひとつ。

ブログの間隔が空きすぎるのではないかと、なかなか長編に挑戦できないのです。ドストエフスキーとか読んでたら、ブログの更新が半年先とかになりそうです。
なので、長編については来年以降のお楽しみにしとこうと思います。とりあえずは、今年いっぱい、岩波文庫を読み続けて、このブログを更新していきます。

「森の生活」ソロー

ソローはアメリカの思想家です。その彼の代表作が、この「森の生活」です。

この本を手に取ったきっかけは、僕が大好きな「3週間続ければ一生がかわる」の著者、シャーマンが強く勧めていたからです。
僕が影響を受けた人に、影響を与えた人はどんな人??という感じです。

そして読了しました。
上巻を…

全然進まないのです。
ペースが全然上がらないのです。

表現が詩的すぎて、ちょっと僕には難しいのです…

下巻も読んでから、ブログに書きたかったのですが、いつになるかわからないので、とりあえず上巻だけの感想です。

著書は、人里離れた森の中に家を建て、そこで自給自足の生活をします。
その静かな生活の中で、自身が感じたことについての随筆集です。上巻では経済や読書、孤独といったテーマについて書かれています。

著書の勧めるあるがままのシンプルな森での生活は、無駄なものが削ぎ落とされており、それゆえに人生の本質、物事の本質を映してくれるのかもしれません。
本の中で、森に暮らしているから得られるものが描かれています。自給自足でありながら満たされた生活、自然の造形美、人里離れているがゆえの濃密な人間関係…それらは今の僕の周りにはないもので、とても美しく感じました。
ただ読んでいて、僕自身に置き換えた場合、33歳の僕はまだ、森にこもるには早いと感じました。価値のある人、ない人、その人たちに関する様々な出来事、それらが生い茂る森で、僕はまだまだ学ばなければならないと思うのです。

読んでいて個人的に興味深かったのは、著者が孔子論語から、いくつか引用をしていたことです。先月に読んで感銘を受けた孔子が、著者のソローに影響を与え、そのソローがまた別のひと、例えば先のシャーマンに影響を与え、さらにそこから僕が影響を受ける…こうなるとその人の思考はもはやその人だけに由来するものではなく、何か共有の財産のようにも思えてきます。

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)




「幸福論」アラン

アランの「幸福論」です。93の幸福についてのエッセイ集です。

われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである

本書からの引用です。
この一文だけで、この本を購入した価値があるとは思いませんか?
日本国憲法の第13条に「幸福追求権」が規定されています。しかし、幸福になろうとするのは権利ではなく、義務なのだと、この本を読んで僕は思いました。

ただ全体を通して、テキストが自分には少し難しかったかな、という印象です。訳が難しかったのか、なかなか入ってきませんでした。なんか接続詞が足りないような…などと言いつつ僕の読解力が足りてないのは確実なのですが。
ほかの書評とか読むと、「平易に」とか「親しみやすく」とか書いてあって、恥ずかしいのですが、僕は少し読むのに苦労しました。

それでも著者の思想は十分に理解できました。

特に良かったのは、悲しみや憂鬱のやり過ごし方です。いわく体操すれば良いとのこと。つまり、体を動かして、行動すればスッキリ、ということだと思います。
これ、僕は実践してます。朝のランニングを日課にしているのです。何か行動や運動をしたあとに、心配ごとがよりネガティブに捉えられることは、僕の経験上あり得ません。
アランのお墨付きも得られたので、今後も朝ランは継続していきます。

しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい


楽しいことばかりではないけれど、僕自身がそのことをどう捉えるかは選ぶことができます。

…なんか、読み終わったときはあんまりな印象でしたけど、読み返してこうしてブログを書いているうちに、なんかだんだんこの本好きになってきました!

幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)


「論語」孔子

今回はご存知、孔子の「論語」です。

論語」が書かれたのは今から約2500年前。孔子の言葉を弟子たちがまとめたものです。512の短文でまとめられた「論語」は孔子の名言集のようなイメージでしょうか。
岩波文庫のものは定価900円でだいたい400ページくらい。結構分厚いです。読むのに時間かかりそうだなあと思っていたのですが、1週間くらいで読めました。と
いうのも、400ページあるのですが、原文、書き下し文、現代語訳と、同じ内容のものが3回書かれているので、見た目ほどのボリュームはないのです。さらに私はまず現代語訳を読んで、気に入ったら書き下し文を読むようにしていたため、結構スムーズに、快適に読めたのです。

読み終わっての感想ですが、さすが2500年残るものは違う!と思いました。先ほど「孔子の名言集」という説明をしましたが、よくある「名言集」とは全然違います
512の短文は、一つ一つは独立していてばらばらなのですが、読み進むにつれて孔子の考え方、思考体系が伝わってくるのです。読み進むうちに「孔子」の人物像が立ち上がってくるように感じました。
孔子が繰り返し説いているのは「仁」の重要性です。「思いやり」、「愛情」と訳されるのでしょうか。論語というと、何か難しいもののように感じますが、そこに書かれているのはとても「優しい」ものだと感じました。
私は、気に入ったものは繰り返し読んで、暗記しました。「論語」を暗記しているとか、なかなかいいじゃんと悦に入っています。
気に入ったものの現代語訳を挙げてみます。

・父母にはただ自分の病気のことだけを心配させるようになさい(病気はやむを得ないばあいもあるが、そのほかのことでは心配をかけないように)

・心に反省してやましくなければ、一体、何を心配し何を恐れるのか

・過ちをしても改めない、これを過ちと言うのだ

・(土地の人がみなほめるというのは)十分じゃない。土地の人の善人がほめて悪人は憎むというのには及ばない

現代語訳だけではなく、是非、書き下し文も読んでみてください。漢文特有のリズム感で、スッと入ってきます。

私事ですが、先日祖父の米寿のお祝いをしました。
孔子と並べるのは変かもしれませんが、人生の先人から学ばなければならないことは尽きないと思います。
2500年間、生き続ける孔子の言葉
孔子よりも長生きしてくれてる祖父の生身の言葉
どちらも僕にとってかけがえのないものです。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)



「シッダルタ」ヘッセ

またヘッセしてしまいました。

この本を選んだきっかけは、僕が大好きな本である「3週間続ければ一生がかわる」の中で、著者ロビン・シャーマが紹介していたからです。この「3週間続ければ〜」はタイトルは安っぽいですが、読みやすくてとても良い本です。繰り返し読んでます。

さて「シッダルタ」です。

主人公の名前はシッダルタ。
「シッダルタ」はお釈迦様(ブッダ)の出家前の名前です。しかし、この主人公は同名の別人という設定で、作中で別にブッダは登場します。

シッダルタは聡明なハンサムで、周囲から大きな期待を寄せられる青年です。その彼が親元を離れ、お釈迦様に会って新たな自分を発見したり、遊女と会って楽しんだり、途中で世俗に汚れたり、不良息子に苦しめられたりします。そして、年老いた彼がついに「真理」にたどり着くまでの物語です。

読んで、やっぱりヘッセはお釈迦様の物語を書きたかったのだと思いました。書きたかったけれど、やはり特定の宗教の開祖の物語を書くことはできず、あくまで別人です、という設定にしたのだと思います。じゃないとわざわざ主人公をお釈迦様の出家前の名前にする必要がありません。

お釈迦様のようなどれだけ素晴らしい人格を持っていても、やはり人間は苦しむのだということ。

僕が特に心に残っているのは、不良息子に苦しむシッダルタの姿です。

苦しむのは息子を愛しているから。

しかし息子を自分の思うような穏やかな人間にしようとするのは、これは自分のエゴではないのか。息子に対する暴力ではないのか。

息子をあらゆる苦痛から守りたいが、自分にそんなことはできない。
それは自分の父親を思い出したらわかる。自分の父親の大きな愛情に対して、自分は家を捨て、河に身投げする手前までいった。どれだけ愛しても、愛する人を苦痛から守ることはできない。

誰でも苦しむ。
人である以上、苦しむ。

読み終わったあとの感想について説明するのは難しいです。

間違いないのは、自分の中で価値観というか、何かが変わったということ。
自分の感化されやすさに驚くとともに、「車輪の下」を超える衝撃に驚いています。
車輪の下の上です。

シッダルタ (岩波文庫)

シッダルタ (岩波文庫)

「方法序説」デカルト

「われ思う、ゆえに我あり」

この言葉は誰でも知ってますよね。この考え方が出てくるのが本著です。
人々が真理を見つけるための方法を記しました。これが本著です。なので「方法序説」というタイトルです。

デカルトは真理を見つけるためには、正しいかどうかが疑わしいものはとりあえず取り除こうと考えます(方法的懐疑)。そうして残ったものは真理であるし、疑わしいものはじっくり検証しようと考えます。
疑わしいものはたくさんあるけど、こうして自分が考えているってことだけは疑いようがないですよね、というのが

「われ思う、ゆえに我あり」

です。

哲学という言葉には、難解なもの、そのくせ実用的ではないもの等のイメージがあります。
この本を読むに際して、僕はすごくビビってました。理解不能で眠くなるのではないかと。
でも、内容はじっくり読めばちゃんと理解できるし、デカルトのストイックさというか真面目さが伝わってきて、すごく楽しめました。結構、自己啓発系の本が好きなので…

「われ思う〜」が有名過ぎますが、この本には他にも素敵な思考が詰まっています。
あらゆるものに対して懐疑的な姿勢でのぞむとしたら、日常の生活に支障をきたしそう…そこでデカルトは、判断を保留にしたとしても行為は停止しないよう、幸福に生きられるよう、3つのルールを決めます。

① 法律と慣習に従う

② 一度やると決めたら、信じてやる

③ 環境ではなく、自分自身を変える(運命よりも自分に打ち克つ)

特に③なんて秀逸です。自己啓発本に同じことが書いてありましたけど、何百年も前にデカルトは実践していたんですね。

この本を読んで、デカルトの真摯さ、それゆえの孤独…様々なことを感じました。今、「近代哲学の父」を身近に、親しく感じています。
方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)




「車輪の下」ヘッセ

この本は中学生のときに父に「読むべし」と言われていながら読んでいなかったものです。中学校の国語の先生も「読むべし」と言っていました。父と先生いわく、「思春期に絶対読むべき本」であると。

僕はもう思春期ではないし、子どももいるし、中肉中背中年男です。そんな僕ですが、ついに読了しました。
結果から言うと、すごく心に残る読書体験となりました思春期じゃなくても、この本を読んで感じるところは大きいと思います。

物語は思春期にある少年、ハンス=ギイベンラアトの心の動きを中心に描かれます。
優等生であり、将来を嘱望された少年は優秀な成績で進学します。しかし、思春期の不安定な心と、周囲の大人たちの抑圧により、彼の歩みは悲劇的な結末へ向かっていきます。

読みながら僕の中の少年が悲鳴をあげているのを感じました。感じながら、僕の中の少年の部分に気づかされ、それを何とも愛しく感じました。

読書体験にはそれぞれ「適齢期」があると思います。僕は大人になってからこの本を読みましたが、もし中学生のときに読んだらどう感じていたでしょうか。それを知ることは永遠にできません。ただ確かなのは、この本が「思春期に読み損なっても、それから何十年もたっても、絶対読むべき本」であるということです。

読み終わった後、この感覚はサン=デグジュベリの「星の王子さま」を読んだ後と似ていると思いました。僕は「星の王子さま」が大好きです。この「車輪の下」もそれと同じくらい大切にしたいです。

車輪の下 (岩波文庫)

車輪の下 (岩波文庫)